
暦の上では春とはいえ、朝晩の冷え込みがまだまだ厳しかった
1991年3月16日の早朝。
普段どんなことがあっても絶対に夜中に起きない私が、“お腹の中の君からのメッセージ”にフッと目が開き、僅か50分という早さでこの世に生を受けた、君の出産に立ち会う事ができました。
幼稚園に上がったばかりの君は、先生の小脇に抱えられながら、目に涙をイッパイに浮かべながら登園していきましたね。
父親参観日には、内緒で教室の片隅から見守り、瞳をキラキラさせながらコマ回しに熱中していた君を眺めていました。
近所の公園で、友達のこいでいるブランコにぶつかり、骨折した鼻の手術経過を見守っている時間は気の遠くなるような長さでしたが、病室で騒いで看護士さんを困らせている君の元気な姿を見た時には、正直ホッとしたものです。
幼稚園の卒園式では、涙に暮れる先生方を横目に、冗談を言ってはクラス中の園児を笑わせていた君。
小学校に上がったばかりの時、下校途中で腕を骨折しながらも必死に痛みをこらえながら、家路へと帰ってきた君。
ひとり部屋にこもっては黙々と、レゴブロックでヘリコプターや飛行機など創造性豊かな作品を作っては、自慢げに披露してくれた君。
サッカー少年団では、身長の低かったハンデをものともせず、グランドを縦横無尽に走り回る姿がとっても眩しかった君。
ホワイトデーには、私に怒られながらもクッキー作りを一緒に手伝ってくれた心優しい君。
小学6年生での運動会で実行委員長を任され、周囲の協力を得ながら見事やり遂げた君。
中学の部活で、いじめに遭いながらも必死で堪え、頑として口を割らなかった心優しい君。
高校受験では第1次試験で見事合格を果たし、私たちを安心させてくれた君。
リーマンショックで就職の内定を取り消されながらも、親に頼る事なく自分の力だけで働き先を探し、見事就職を決めた君からの電話には涙しました。
就職先では長時間労働にヘトヘトになりながらも、懸命に働く君の勇姿に何度も励まされました。
約3年という異例の早さで店長へと駆け上がっていった君には、私の修業時代以上のやる気を感じていました。
幼少の時から、どんな辛いことがあっても自分の内で消化しようともがき苦しみ、周りの人間には決して本心や弱みを見せない芯の強い子供だった君。
マイペースで、恥ずかしがり屋で、口数は少ないけど責任感が強く、任されたことに対しては最後までやり遂げようと必死に頑張った君。
ふだん滅多に相談事を口にしない君から「ちょっと相談したいことがあるんだけど?」
こんな言葉を投げかけらた時には、「何かアクシデントでもあったのか?」と不安ばかりが頭の中をグルグル駆け回りましたが、
「結婚を考えているパートナーがいるんだ!」と聞いた時には、嬉しさと寂しさが入り交じり、複雑な想いでした。
あれから3ヶ月、今日の良き日を最後に私たちの手元を離れ、パートナーと一緒に独り立ちをする君。
21年と319日という短い期間だったけれど、育児を通して私達に与えてくれた「楽しいこと」「苦しいこと」「悲しいこと」…などが一杯詰まった沢山の想い出は、かけがえのない宝物です。
君の口から聞いた「父さんと母さんの子供に生まれて良かったよ!」この言葉は、
君からの子育て卒業証書として私たちの胸の中にそっと収めておきます。
そして私たち二人から今までの感謝の気持ちを込めて君に贈ります。
「私たちの元に生まれて来てくれて本当にありがとう!」
そして「パートナーと一緒に助け合い励まし合って、いつまでも幸せにネ!」
君を尊敬する 父より
(2013年1月吉日 記)