MO008 祭りを見て想う、大人の“粋”と“イキ”

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photo credit: おとなキレイ.com

 

長かったGWも終盤になり、家族旅行やお出掛けを楽しまれたことと思います。

私などはサービス業を営んでいることもあり、GWは全く関係ないのですが、この時期に行なわれる日本3大祭りのひとつに数えられている「浜松祭り」に関しては

幼い頃よりココ浜松に住み、慣れ親しんできたこともあり、とても深い思い入れがあります。(私の長男や次男も町民の250名程の皆様に「浜松祭り名物激練り」でお祝いしていただきました。)

しかしながら年々、参加する町が増えて拡大して行くにつれてエンターテイメント性ばかりに意識がいき、浜松祭り本来の「町民皆でお祝いさせて頂く厳かな催し」の意識から築き上げられた伝統が失われつつある参加者意識には、正直残念な想いを深く感じます。

中でも私が一番心を痛めているのが「祭りの服装と髪型の乱れ」

少しでも他人より目立ちたい意識からか、派手めな足袋で浮いてしまっている足元、帯を締めずにダラダラ裾をたなびかせる、縛って固めただけの様なボサボサな髪…など、年々その乱れ方が大きくなり、ただ“イキがっている”ように感じるのは私だけでしょうか。

本来であればリーダーとなる方がキチンと指導すれば良いのですが、あまり厳しすぎると参加者が減ってしまう恐れもあり、「これが今の流行りだから…」と言われてしまえば何も言えず、参加する方が「お祝いさせていただく」と言う意識を持たない限りなかなか改善されない問題ではあると思います。

いきと粋

いきまたは意気とは、江戸における美意識(美的観念)のひとつであった。江戸時代後期に、江戸深川の芸者(辰巳芸者)についていったのがはじまりとされる。身なりや振る舞いが洗練されていて、格好よいと感じられること。また、人情に通じていること、遊び方を知っていることなどの意味も含む。
反対語は野暮(やぼ)または無粋である。「粋 (すい)」を「いき」と読むのは誤用・誤読である。

いきは粋と表記されることが多いが、これは明治になってからのことで、上方の美意識である「粋(すい)」とは区別しなければならない。

上方の「粋(すい)」が恋愛や装飾などにおいて突き詰めた末に結晶される文化様式(結果としての、心中や絢爛豪華な振袖の着物など)、字のごとく純粋の「粋(すい)」である。

『守貞謾稿』には、「京坂は男女ともに艶麗優美を専らとし、かねて粋を欲す。江戸は意気を専らとして美を次として、風姿自づから異あり。これを花に比するに艶麗は牡丹なり。優美は桜花なり。粋と意気は梅なり。しかも京坂の粋は紅梅にして、江戸の意気は白梅に比して可ならん」と書かれている。

(〜Wikiペディアより抜粋〜)

その一方で、きちっと帯で纏められた法被に身を包み「襟足からきりりと結い上げられた夜会巻き」「工夫を凝らした編み込み」「コンパクトに纏められたお団子スタイル」…等で纏められたヘアスタイルには、大人の粋や凛とした佇まいを感じ、髪型を仕上げる作り手としても、見ている側としても惚れ惚れしてしまいます。(ヤッパリこれだよこれ、大人スタイルはこうでなくちゃ)

「髪や服装の乱れは心の乱れ」にもあります通り、髪型や服装の乱れは心に隙を作り、思わぬ事故に繋がる恐れもあります。

見学される方や参加する方双方が気持ち良くなれる祭り、これから先も末永く続けていってもらいたいと思います。

凛とした佇まいを感じさせる大人の粋、いつまでも大切にしていきたいですね

おとなキレイ·サポーター 田中和義 より

 

追伸:私が感じる「法被の粋な着こなし」はこんな感じです♪

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photo credit: おとなキレイ.com

【あまりの激しさ故けが人が続出する、浜松祭り名物の激練り】
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=KZRne2Haw4U[/youtube]